硬貨(メダル)から発想されたと云われ、15~16世紀のルネサンス成熟期、ミケランジェロ、ボッティチェリ、ラファエロなどが競うように取り組んだトンド(tondo:伊:丸い)、所謂円形絵画は、人々の住まい集う空間に装飾的に配置された。この国では、例えば京都市曹洞宗寺院源光庵の、借景窓「景色を見るための窓 悟りの窓と迷いの窓」などがある。そもそも絵画にしろ窓にしろ円形表象は、創出側の欲望に傾いているとも云える。実用性から問えば舟窓や潜水艦の丸い窓があるけれども、陸上を走る車や列車、住空間のほとんどは、視界を確保する意味で四角い矩形である。つまり、円形は現代において標準的に捉えるならば、惑星の形態であり、宇宙空間の位相を表出する意味合いが強いのかもしれない。円卓というものもあり、中華料理店でくるくる料理が回る食事はたのしい。円形鏡というのもあるだろうが、個人的には馴染みがない。こうした状況的環境的な現代にとって、トンドは、ユニバースと結ばれる表象記号とまず受け止めてから、それを逆様に作り手に送り返し、作家の意識へと促される。
こうした外形フォーマットだけをみれば、装飾的な意味合いの絵画が配置される場所というものへ関心が移行してしまうが、丸い視野という奇形でヴィジョンを構築展開する者にしてみれば、「中心と外縁」「スケール」「支持体」など、踏み越えなければ達成できない課題が積み重ねられており、なかなか困難な仕事であると云える。いずれにしろ、画家は、その作品コンセプトからして、技法手法的な頓着よりも、ヴィジョン(光景)の創出を、記憶を頼りに、非現実的(フィクション)な映像として顕すことに欲望と関心がある。円形外縁によって水晶球に映り込むように歪んだ稜線を持つ「景色」の、画家の特異な解釈へ導かれるしかないが、おもしろいもので、極端な恣意が類型的でない普遍形態(円)に支えられると、アプリオリな転倒が認識する側に起こってそれを正常へ導くようだ。画家のこのフォーマットへの執着と継続を是非期待し、トンドの持つ魔(缶バッジ、日の丸、穴、などの装飾記号)と闘ってほしい(時には連れションでもして)ものだ。
文責 町田哲也