Biwa Takahashi

L1002376

水資源のためのゆるコラージュ color corns,gutterings,paint branch,board,Strings  2800 mm high x 2000 mm wide  x 2800 mm 2015 ¥200,000 -

水資源のためのゆるコラージュ
color corns,gutterings,paint branch,board,Strings 2800 mm high x 2000 mm wide x 2800 mm 2015 ¥200,000 –


ふらここ Acrylic colors on Canvas 1300 mm high x 1630 mm wide  2015 ¥1170,000 -(額無し)

ふらここ
Acrylic colors on Canvas 1300 mm high x 1630 mm wide 2015 ¥1170,000 -(額無し)


 シュポール・シュルファス(支持体・表面)、アルテ・ポーヴェラ(伝統的な美術の画材を放棄)からダイレクトに影響を受けたこの国の70年代以降を想起する作家の「ゆるコラージュ」は、画面にオブジェがぶらさがるこれまでの仕様から、空間にモノがぶらさがるだけの形態となって、軽井沢の野外展に続いて展示された。今回は倉庫ギャラリーの壁面に設置されたが、軽井沢では樹木の枝から真下に広がるように設置されている。「水資源のためのゆるコラージュ」と示されたように、この作品が環境への警鐘のようなシンボルとして機能させたいという作家の姿勢には、画家として生きながら獲得した立場でより自由に振る舞えることを証すような気概のようなものを感じる。ホームセンターで簡単に手に入る廉価な材をぶらさげて板材にはマーキング程度の彩色がなされている。言葉の通じない異星人がこの星のガラクタでコミニュケートするSUPER8とかのSF映画を浮かべつつ、私は70年代後半に黒姫に移住した谷川雁(1923~1995)の子供たちとの宮沢賢治の検証作業を加えて憶いだしていた。
というのも、一瞥や浅薄な理解で世界を眺めるムードというものが、現代社会には蔓延しており、無論わたしたちは日々の生活で時間に追われているからだけれども、幾度も繰り返して出来事をみつめて、さまざまな感情や解釈を刺し違えつつ行う静かな場所で、ひとつの固有な作家の迷妄も加わった不完全な「伝え」を雑感を交えても構わないさっぱりとした人間的時空を過ごすということが、今更に必要なのだとつくづく思うのだった。このある種拙い「異星人」の「伝え」を囲んで酒でも呑めればいいと李白のような気持ちになった。
 「ふらここ」とは古語でブランコのことを示すと作家から聞いた。従来のスティップリング(点描)手法ではなく、花粉のように風に流れる大粒の光の粒子の中、瞼を細くした目映さといった印象の画面には、件のペンギンがブランコに揺れている。2014年の二紀会展に出品された作品であるが、作家曰く「これからは60号を私の最大スケールとしたい」として、これが大型作品の最後のものとなるかもしれない。作品スケールに関して、今年の春、野田哲也氏の講演に関わりながら、氏の版画作品の絶妙なスケールということを再確認していたこともあり、作家にとってスケールの決定が非常に大切であることに触れていたので、たかはしびわの絵画作品のスケールダウン宣言は、実は成熟のひとつの展開なのだと得心したのだった。作品は巨大であればよいというものではないし、持続可能な探求手法を併行させることで、制作思索は追求されるものだろう。こじんまりとした小さな空間ではない倉庫ギャラリーで展開する今回の企画に参画した際に、この絵画と「ゆるコラージュ」の併置によって、空間に対峙できると睨んだ作家の、今後のスケール展開がどのようなものになるか、愉しみにしたい。

文責 町田哲也