Genta Maruyama

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092015_genta maruyama from baeikakkei on Vimeo.



 吉増剛造の「清(すず)しい声の人」(透谷ノート)には、遠い日に逝ってしまった北村透谷 (1868~1894)の声に耳を澄まして書かれたものを読んでいることが記されている。

処女膜のような鼓膜がはじめて世界の物音に振動しはじめたとき、内耳の奥の一迷路、そして心宮には絶対的な静寂の余韻もまだ残っていたのであろう。しかしこの世に生をうけたその瞬間から人間は小天地の響きに共鳴するようにして振動しはじめる。人体はその意味では一個の音楽体だ。その音楽体、一個の人体の内部にある聴覚の家とでもいうべきものが複雑に病んでいて、冴えわたった音を聞くことがひじょうに困難になりつつある。(中略)
 
優しく澄んだ発声、読み手のわたしが透谷の言葉にやや慣れてきて、耳が鋭敏になってきているのかもしれない、この琵琶や琴や透谷の詩心の象徴ともいうべき楽器で、透谷の書いたものを読みつづけてきたわたしの耳に特別な響きをつたえてくる。(中略)

藤村はこの晩年の透谷をとらえていて、透谷は、「大変涼しいやうな人」だったという。引用箇所でも透谷の「高い声」という。それは同じく「春」(島崎藤村)のなかで、「ハムレットを見せた青木は更にオフェリアを見せると言い出した。彼は酔って起ち上がつた。花束のかはりに白い帕子(ハンケチ)を振つて、清(すず)しい声で歌ひだした」という箇所の「清(すず)しい声」にあたる。
 透谷が哀しい声で読んだという「双蝶のわかれ」は闇のなかでもぎとられた白い翼(はね)がちぎれちぎれに舞うのがみえるような詩だ。生きた蝶を見つめているのではなく、この蝶はどこか散る白い花びらのようにみえる。

吉増剛造「透谷ノート」「清しい声の人」より抜粋引用

 丸山の写真をながめて透谷を想起したのは、彼の写真作品が、透谷の文体のような聴こえと似た「見え方」をしているからであり、それは、吉増が響きを聴いていく辿りをする中で、書かれたものそれ自体よりも、透谷の声に潜んだ本人の本質的な輝きのようなものに触れていくことと同じであって、丸山の写真としか名付けられない固有な「人間の質」が、作家本人の気質と気概に直結されており、まさか聴こえるようにそれがみえはじめる。

北村透谷(青空文庫)>>

文責 町田哲也