Takeshi Hirose

crushed past
長野森林資源利用事業共同組合(ウッドチップ)
シモダ木材(古材)
松代建設工業(古材・資材)
信州大学工学部建築学科の学生たち(設営)


 環境そのものに恣意を与え営みを改変してきた多種多様な歴史は人間にはある。ある種のコミュニティー、共同体において、時に環境は象徴的に整えられ、あるいはまた多くの場合利便性を優先し、ある時には強引な淘汰を余儀なくさせた。時間が過ぎて振り返れば、あれは間違っていたとその浅薄な恣意を恨む景は少なくない。遺されたアルタミーラなど遠い過去の洞窟壁画は、共同体生活の必要から生まれたものと考えれば、以降様々な曲折を経た時代や生活で固有なる個人がつくりのこしたものも、謂わば人間の社会との軋轢や摩擦(反発斥力・迎合癒着)で生じた偶発事象でありながら、ひとつの個を超える表象性をもって現代に遺り顕われていると戒めて目を向けるようになるものだ。そうした形骸を内省的に目撃できる現代人の先端の目(歴史時間軸)として、同じような視線を保って現在顕現する視覚藝術を「提案」的に受け止める、鑑賞を踏み越える検証的クリティークがあっていい。
 
 間伐材などを大型機械で粉砕した木材(チップ)は、本来火力発電の為の燃焼材となる。公園の遊歩道面に敷くことなどにも利用されることがあるが、これは圧縮施工しないと雨などで流されると聞いた。作家は18メートルx7メートル、高さ4メートル半の空間の床10センチ厚で、チップを敷き詰める空間を創出させる計画をまず一年あたためた。家屋の梁などに使われた古木廃材を加えて配置する空間そのものを作品として顕した。盛んに各地で試みられているインスタレーション作品であり、類型的な空間表出は数多検索で相対鑑賞することはできる。だが今回の異形性は、場所や時空(地域性)を踏まえた作家のデビューと考えてよいところにある。私は90年代半ば頃に観たピナ・バウシュ 1940~2009(ヴィム・ヴェンダースが映像を遺した)の新宿文化センターでの公演(舞台は土砂だった)をまずありありと浮かばせてから、ウォルター・デ・マリア 1935~2013のアースルームブロークンキロメートル、案内人が願いの叶う部屋に罠を避けつつふたりを連れてナットを放り投げて歩み行くタルコフスキー 1932~1986のストーカーのシーンなどを記憶の重箱から引き出し重ねて、普段慣れ親しんでいる筈の唐松林で踏み分けているものと異なった足下の柔らかさの謎を解きたい気持ちが膨れたのだった。風に流されない箱の中では足下から垂直に樹木の香りが匂い立つ。状況を体験する作品であって無論即売できる作品ではない。社会に対してはむしろボランティア的な提示表出であり、作家の意気地と気概があってこそこれが可能となったと言える。遊歩道のチップの上を歩み行く時、足首の重力から解かれたかの柔らかさは、普段の生活の硬質な抵抗感にあらためて気づくものだ。屋内の床が緩くうねりのある粉砕材が敷き詰められている場所に立つと、雨露を凌ぐ生活に決定的に不足していた何物かが、身体に打響くような切迫感を持って、目頭がひりひりする香りを伴い、疲弊した精神と身体に潤いを齎しつつ「汝思考せよ」と集中を与えてくれる。

 作品化は意識のゲシュタルトと言ってしまえばそれまでだが、この空間の示す可能性は多岐にわたる。例えば刑務所(私自身取材した経験がある)など、冷徹な箱に犯罪者を押し込むことが、罪を背負うべき罰だという観念は、頓珍漢且つ滑稽で、刑務所こそチップの敷き詰められた労りと柔らかさに充ちた、人間を緊縛から解き放つべき施設空間であるべきと思う者だが、同様あるいはそれ以上に、教育施設や、図書館や公民館、映画館などのコミュニティーの共有空間、あるいはシャッター街となっている繁華街などこそ、こうした作品の啓示を受け止めて、人間が癒しと解放を求めて集う空間として修復すべきであり、作品がその発端発露となる。現代の視覚藝術作品は、そうした近未来の共同体の倫理に向けられているとも考えられる。

 ひとりの現代建築家が独立し二十年近く経た今、作家として視覚藝術表出を決起した。孤独な革命だ。無論彼のこれまでに行ってきた建築家としての仕事自体も作品には違いないだろうが、クライアント(施工主)や、建築に関する様々な事情(制約)から、自由(孤立)になって、束縛から離脱した個として示すべきことを創出したわけだ。その動機や気概の出自は個人的な営みが齎した諸処の揚句のようなものかもしれないが、立ち位置を踏み越えていく新しい倫理に基づく行為として、さまざまに放射し影響を与えることになるだろう。中年(五十を過ぎて)で視覚藝術作家としてデビューしたことを大きく讃えたい。噛み砕き醗酵させる時を挟んで次の展開を期待しよう。

文責 町田哲也