80年代から顕著となった社会的な意味での開示(デスクロージャー)性は、スケルトンなどといったプロダクト表象を伴い、戦前戦後という前世紀の混濁の中乱立した権力による情報の占有から生じた秘匿(差別的所有)性に対しての、率直な抗いの反応反射として、インターネットの拡張もそれを増長させ、知ること(目にみえること)の獲得欲望を市井イデオロギー(倫理ではなく手法)として一般を等価に広げていった。世界の暗部を切り開く先鋭的な直観を宿した作家群により牽引された視覚芸術の、それまでの時空での開示の役割は、こうした情報インフラとテクノロジーにより専売性が薄くなり、創作の根拠と作品の機能性はかなり変質していく。パイオニア的見知という先導的な意味合いの結節点の発見や、視界の拡張は、作家の素質に頼るだけの必要はなくなった。人文的に実証的な思想と科学の進捗の交錯もこれに加わり、「新しさ」「独自性」を作品に見出し、それを貴族的に独占所有するベクトルで擁護した態度も前世紀的なものとなった。これを視覚芸術の萎縮と見做す場合もある。だがしかし、新しい元素が見出されても、機能的量子的なテクノロジーによって生活が拡張されたとしても、ハイデガーが「芸術作品のはじまり」で示した、「あれ」(不伏蔵性・アレーテイア)は未だ「問いかけ」の仕組みとして、探索の手がかりとして目の前にこうして在ると示す作品が展開された。視覚藝術の持続可能性は、人間の全的生存折衝の力として、臆面もなく局面に対してあからさまに研ぎすまされ、その多様性の差異において煌めいている。つまりそれらを如何に享受し噛み砕くかということが、我々に試されている。
北澤一伯作品の解析探索の路は、彫刻的な空間の顕われに人生を注いで継続した作品気質が導く路がまず脈々とあり、シネクドキ(提喩)、メトニミー(換喩)、メタファー(隠喩)というレトリックの路傍が、作家の独自形象の脇に普遍の視界となって開かれており、3.11以降の意味の再構築・修復という意識の働きを伴ってそこを私たちはゆっくり経験的に歩むことになる。個と全体の隙間、狭間に吐かれた作家の吐息のような位置で、例えば「鴉の羽根」があった。
2016年10月にアンフォルメル中川村美術館での、「平鈴 楕円の鳥」(段丘地 四徳 折草 平鈴)は、方形に積み上げられた木材の上に、羽根が真上から非ぬ速度を持って夥しく降り落ちたかに垂直に突き刺さっている。過去よりペンに代用され指先で文字を表象し、あるいはまた神話の神々や堕天使の背に憑依させ、また保温を纏めて睡眠を守るように使われてきている「羽根」は、人間の日常生活の近隣にありながら目にみえないものとなっている。その物質的形而上的意味を輪郭に浮き上がらせて振動させ、都度の状況や意識の状態に舞うように働きかけるオブジェと成るよう仕組まれた「平鈴 楕円の鳥」の、構築前の資材置き場の態のままのボリュームと重さある角材の塊に、羽根が突き刺さって置かれて在るという視覚的物質構造作品では、「積み上げて突き刺す」だけの恣意行為によって、物質の意識に働きかける質と量をフワッと変容させ、物質世界と意識との繋がりへの関心の恢復を促し、嘗てのシュルレアリスムのデカルコマニー、グラッタージュ、フロッタージュといった物理現象(写真の通俗化)から非現実(幻想)へ導いた促しを遡行逆走し、今更に物理を剥き出しにするかの、そしてデュシャンからボイス、ボルタンスキー、あるいはタルコフスキーの物質と記憶(詩)の星々を活性同期させて、非現実(イメージ)を迂回させて現実に立ち戻る回路藝術として、存在を露にし現在に生きるべき「問い」をその状況にそっと提示している。これはまるで今を発掘する現時点の考現学(考古学)といっていい。我々は物質の解体された観念性を視覚的に再構成するように眺める力を其処に「これは何か」と作品によって強いられるのだ。同時に視覚芸術のパラドクスは、この右脳的展開に対して、「みえてしまった」瞬間に肉体に入り込んでしまうことも、われわれは知っている。
研がれた(形を剥き出す)砥石という素材自体が諧謔化したオブジェが、集積の隙間に、測られて置かれてあり、脇に貫かれる使嗾鉄棒のベクトルで周回の歩みを再開する。単に整形する塑像造形的な語り口ではない、「労働と儚い幸せ」という痛みの感触を浮かばせるように背後で振動をはじめる。トゲによって外敵から国土を守ったスコットランドの国花である薊(アザミ)、蒲公英(たんぽぽ)の絮(わた)が透明な箱(中が見える:判る)にふわっと入れられて布置されている。布置の所作の、素材配置の間隔、点在のリズム、ボリュームの形成は、構築にその多くの時間が費やされた礎となった土台的構造(まず能舞台のような水平面が一層地より立ち上がって周到に用意されている)に、鍛錬の視座として重ねられることで、布置の念動力が重厚なものとなる。儚い積層性がその広がりに対して垂直方向への開放的空間の上昇性を獲得拡張を示す。布置されたオブジェは、このステージであるからこそ語り始める予感(震え)に新しく支えられている。薄く白濁した薄化粧を施された木材は、しっとりとその礎の気配を押し殺してはいるが汗が滲み出る気配を漂わせる人為の皮膚と化けている。こうして広がる素材界は、人間世界の「神殿的布置」にもどこか繋がり、丁寧に祭られた墓所のような風情を醸しながら、しかし形而下物質を剥き出しにして、人間の肉体と精神をあえて一旦乖離させるかの鋭利さに緊迫する。形成されているのはひとつの回答的「整い」ではなく、イバラの視界であり、幽体離脱した精神で世界を眺め直せ、世界を語り直せと示唆教唆するかに北澤作品の布置は迫るのだ。そしてこれは、われわれが人間であることをふいに大きく気づかせる、ひとつの「救い」であり「癒し」の景となる。ドーモ空間との会遇、あるいは方舟との出会いを彷彿させる作品景の由来は、太古の遺跡の発掘現場のようでもあるが、作家の辿った半世紀の時代を圧縮して解放した証言・証拠ともいえる。
ナガノオルタナティブ2017 ”プリベンション” 北澤一伯展「場所の仕事」では、幅7メートルx奥行き18メートルx高さ4.5メートルの倉庫ギャラリーの567億mm3の空間容積に照応した作品が、一ヶ月の現地制作作業時間を費やして構築された。視界を描写探索することによって享受する視覚藝術を顕現させる仕事に生を投じて来た作家の集大成ともいえる巨大且つ繊細な作品となった。住まう伊那から作家自らの主催するマツモトアートセンター(松本)を経由し長野の倉庫ギャラリーへと幾度も資材運搬で行き来きした遠路移動の繰り返しは、まるでデッサンを繰り返すように場所の解釈として行われた。作家の示した「場所の仕事」とは、幾度も場所を噛み砕きつつ、感応の度合いを高め、紆余曲折や構想の断念をも許すこともあった謂わば時間的空間塑像的なアプローチにより、単に予定された計画を実行するというものではなかった。練り上げていく過程自体が、その実現構造となっている。
倉庫ギャラリー空間で存分に固有性を表出させる、宇佐美圭司「絵画論」(1980年)で示されたプリベンション(装置)というサブテーマを置いたナガノオルタナティブ2017作家展は、5名の作家によって、貴重で意味の生まれる企画展が重ねられた。空間の特徴として作家の作品系譜を辿る作品展開が平面作家にはみられた。当該施設及び企画の不十分により、参画作家に対する十全なサポートは叶わなかったが、自力でこれを踏み越えていただいた作家諸氏に感謝すると共に、今後の場所の行方と視覚芸術の可能性を睨む為にも、アーカイブを記憶化させたいと、企画者は考えている。
現代社会の脆弱と不安は表象における共有強度を「総娯楽性」に傾かせていることにある。つまりより多くの人間が共感するコードをエモーショナルに「もてなして」消費するように仕向けることが、互恵的経済的な潤いと成る単一構造に依存することに成り果てており、記号的世界を浅薄な表層で解釈する態度が量産され、テンプレートが横行し、決意の自由、差異と多様性の喪失(無視・無関心)に繋がっている。個人作家が個と公の狭間で固有な路を開く倫理的創造活動こそが、こうした暗雲を払うひとつの手段であり、孤立した個体を遠く繋ぐ気概としてその念力は着実剛胆に時空を超えて届き遺る。
文責 町田哲也