Kazuya Osame

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L1002342

血で
wood,red paint 2500 mm high x 2000 mm wide x 200 mm depth 2015 ¥150,000 –


 納がインテリアデザインを学んで社会に躍り出た時期、世はアフターバブルの不健全の残滓にまみれており、健やかにキャリア系を育むことができなかったと云う。学びの時期に細かい場面の再現が可能なほど小津安二郎全作を軀に染み込ませるように観ている。同時期に同じようにインテリアデザインの横にファインアート(もの派)を置き、そこから吸い取ることも多かった。勿論不満はあったが安定的な職業を得て部下も従え妻も娶ったが、父親の急逝と離婚から十年に渡る飯綱と六本木通勤就業によって神経発作を発症した際に私は近隣に住まう者となって二十年ぶりに再会をした。長距離通勤の最中ふいに銀座で個展を開催している。日々の業務環境の中で自らを証すようなことだったのかもしれない。ものをつくることはこれまで自分のなかに蓄積したものによってでしか行うことができない。と言い切る納にとっての制作作業は、作家の作品表出欲望というより、不完全な壊れた現在を無為に漂うことに対して、これまでとこれからという軸を形成する自己確認の仕草であり、抗鬱薬の弛緩から覚醒を取り戻す手法であり、それはD15(ドローイング2015)に出品している一年以上継続した「石の素描」にも色濃く示されている。
 「血で」とタイトルが置かれた今回のインスタレーションは、プランに沿った数日の作業で完了している。対象憑依型、つまり注視する観察者でもある彼にとって、続明暗の水村美苗の憑依と似た「メタモノマネ」の対象(モノであっても人であっても)へ近寄る姿勢がまずある。昨年暮れに同行した「菅木志雄展」での作品群との再会とそれらへの憑依感を持って、今回のこしらえが行われたという。この恋慕に似た観察と憑依は、束縛された現世からの幽体離脱かもしれないし、バスマニアを名乗る彼の「バス」への憑依が開始された幼少の通学から練り込まれた軀そのものの性質なのかもしれない。
 今回はギターを使うパフォーマンスも行い、一度目を終えて二度目はとその進捗に意欲を示している。日々の散漫な印象が呟かれそれを断片化するかにギターのリフが切断する。彼にとって構築される悉は、憑依から帰還する眼差しを自らが得る作業なのだとも云える。そしてこの「人」という表出をみつめるわたしたちは、現在の人間の普遍に出会う。

文責 町田哲也