Kyoko Maruta


「円環」部分 2017年 180 x 270 cm キャンバスにアクリル、金箔、金剛砂

 明瞭な現実の明快さを濁し黙し、曖昧さへ逃げ疑いを隠すかの蒙昧さが現状を維持する処世の王道である時代は、それに対して率直に抗う指向性を携えた、鮮明な現実(リアリティー:リアリズムではない)を求める明快な視覚藝術家が時代の斥力のようなかたちで放たれるものだ。これは例えば、子に対して所有物であるかに抑圧的あるいは否定的な仕草を与え続けた親の無頓着、無知こそが、子に巣食う欠損の根拠となり子に宿る可能性がある反社会的な分裂(自己矛盾:わたしは愛されていない)の因果となっていることと、逆説的な意味で倫理不在の相似形を成している。ここで示す視覚藝術の明快さとは、不毛でメタフィジカルなイメージ(幻想)からの脱却であり、同時に現実に隣接同居する未知を敢えて明らかにする試みとなろう。そしてそれは意志としての行為でのみ顕われるともいえる。そこには愉快とか不愉快という感傷は存在しない。単にこじ開ける手法が鋭利に開発され鮮明な現実が開かれるだけだ。

 90年代初頭から制作発表を開始した丸田恭子は、画家として、平面のフォーマットでのみ作品制作展開を反復持続している。画家自身がギャラリートークで語ったように、新表現主義(Neo-expressionism)の台頭に直に呼応する環境(渡米)で、ひとりの個人が圧倒的な寡黙さで「ものを申す」かのかたちの絵画に触れ、自己表出の行方(スケール)をつかみ取っている。ヘレン・フランケンサーラー(1928~2011)やロバート・マザウェル(1915~1991)の巨大であっけらかんとした露呈を間近で体感し、デ・クーニングとの出会いなどもあって、大型作品制作というセルフディスプレイの限界突破の手法として結ばれたのだろう。だがしかし、絵画に記録されているディティールは、そうした作家自身を支えただろう背後環境よりも、過去から現在まで連なる画面のフロント(前面)は雄弁に、プリベンション(装置)構造の、芽吹きから深化までを淡々と示している。
 所謂絵画の歴史的文脈にある具体的な被写体、モチーフを写すといった対象物への憑依手法から初期より決別し、構造力学に関心を寄せる画家にとって、スパイラルという意匠ひとつで、筆勢自体、形態のもたらす皮膜構造、平面性と空間性への、折衝とその結実実現を果たそうとしてきている。平面作品が完了画面と成るまでの、自らの行う平面作品の展開構造、制作過程、素材など諸々の精査自体、調合、合成、構成、積層化などの集合識ともいえる表象が、つまり彼女の口から漏れた「意識」という関心事それ自体に結ばれ、その澱みを払う仕組み(クリアな意識)に長年取り組んできたともいえる。作品の浅薄な解釈では一貫した作品制作者と受け止められるだろうが、内実の進捗の多様な取り組みは新作の金箔投入作品にも顕著に顕われており、微細な改変深化を重ねてきている証左となっている。

 スパラル、トルネードといった形態表象の示す描かれたその意味よりも、表層が示す絵画構造としての成立過程を、制作者の辿っただろう経緯(憶測:これも鑑賞ファクター)からみつめると、現代絵画意匠だけでなく過去より綿々と続くペインティングのエッセンスを鏤めるかに各所で試されていることに気づく。筆勢という恣意と抑制の描画史(指の先の筆という拡張神経の強弱で抑揚を与える線描が生まれた)、塗り重ねた平面性(画家は躊躇いや間違いの修正行為を痕跡として基本的にはのこさない。加算のみで構築されている)、透過性(透明であるとは一体どういうことか)の獲得と定着などが、画家の意匠として画面に構築される最終的なヴィジョンに向かって(探索しつつ)さまざまな技法が各過程において精査遍歴を滲ませ練り込まれている。現代のラップトップの内部に実に複雑な電子機器が埋め込まれていると同様に、むしろそれ以上の思索遍歴が結晶化された固有でスタティックな薄膜へと定着させる行為時間が、過激さと丁重さの矛盾を織り込むようにして、一挙に見える形となっており、それが丸田絵画作品である。我々には視認意訳されたガイドラインはスパイラルしかないけれども、凝視の果てには別のなにかがみえてくるようにつくられている。

 画家へのインタビューで、青年期以前よりのサイエンスへの好奇心が、おそらく思考対象を、理論物理学や素粒子、宇宙科学などへ広げた素地となり、創作を偶発的、発作的な衝動に任せるのではなく、八割をコントロールできる絵画制作構造に身を投じる持続にそれを投射している。ひとりの人間が完全に制御する事象として、画家の作品が在り、だが往往にして作品はコントロールを逸脱するエネルギーを放射するものなので、画家は再び繰り返さなければならない。

文責 町田哲也