Hiroko Ninomiya


風へ

 現在では心理学で示されることの多いレリジエンス(自発的治癒力)は、そもそも物理の範疇で「ストレス」同様「外力による歪みを跳ね返す力」と使われはじめ、精神医学では、ボナノ(Bonanno,G.)が「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」(wiki)と定義している。90年代半ばからPTSD発症の社会においてこれに抗う人間の潜在的な力としてレジリエンスが示された。現代社会に蔓延する精神的抑圧としての「ストレス」に対して、撥ね除ける意味合いを本来的に視覚藝術作品は孕んでおり、視座を技法や表情からレジリエンスにズラして読み解くことができるのではないかと、2018年ナガノオルタナティブのサブテーマに置いたわけだったが、このサブテーマに対して招聘作家は、身構えることなくこれを弁えて作家の系譜を作品で示した。

 あたかも百年の時、つまりクボ=フトゥリズム、シュプレマティスムを率先したカジミール・マレーヴィチ(1879~1935)、あるいはバウハウスの「区分け」と「仕切り」(陰翳)、ピカソとブラックのキュビズムからロシア構成主義への次元拡張(余白への侵犯)、つまり平面的構想から立体的な三次元が手元から立ち上がっていった転換期のビジュアルヒストリーを、形象片鱗にデジャヴュにて浮かばせるかの、板(平面と立体の間を取り持つ)による構成的立体作品をインスタレーション的に展開した、「二ノ宮裕子展ー風は裾野を渡り、水面に映るー」は、その副題が示す通り、様々に切り取られた板が、相互に支え合う構造にて光景的事象を、切り取られた湾曲が例えば山岳地方の尾根、水平に点在する湖などをみる者の瞳に俯瞰想起させる。各板パーツや空間そのものへの絵画的描写(カラースプレー、線彫り、ステンシルパウダー等)は、元々絵画的探求の回り道として彫刻を選んだという作家初動期があったことが率直に表出されている。計画で測られた作品のスケールは、現場設置の状況で若干改変され、倉庫ギャラリーの空間への照応を制作済みパーツの持込みと現地制作にて4日費やして完了した。
 具体的な人物の塑像(テラコッタ・鋳造・彩色木彫)を軸とした作品制作の時期を経て、紙によるレリーフ的なソフトワークやモビール作品の展開など、個展・グループ展を重ねながら、それら脱彫刻的系譜の色を濃くするかに、この名付けようのない、仮設立体作品へと至っている。同時期に、70km離れた追分油や・アートプロジェクト沙庭(二ノ宮裕子・守り神[MORIGAMI]展◎十二神将童子)にて、テラコッタ胸像による個展を開催しているのは、後述する「跳躍」の証左として興味深い。
 ランドスケープを投影する舞台美術などの仮設にも似ているが、全ての表面を覆うように色彩や彫り込みは行なわれていない。板(合板)の材質を残し、支え合う構造も、トリッキーな組み合わせや、それ自体が固有なシステムを示すといった大袈裟な取り組みは行なわず、垂直と水平の相互依存を保つだけに構築され、誤解をおそれずに言えば、最小の関わりで最大の効果をもたらす手法と見受けられる。この姿勢自体が作家の特質であり、更にどのような環境(場所・距離・空間)に対しても、作品展開折衝は可能なのだと胸を張っているとも捉えることができる。
 サブテーマとして作家が置いた「ー風は裾野を渡り、水面に映るー」も、風そのものが自身であると示しているように感じるが、個人的には、環境(長野市の山地への縁に倉庫ギャラリーは位置している)へのにじり寄りを考えたかもしれない構成立体が醸す形象が、山稜や湖とダイレクトに幻影直結し、エモーショナルな共感を作品表象に近寄せているので、その第一次接近遭遇的認識(作品印象)の下に様々な意匠(分散した風)が隠れる。この組立ての位置づけは自己表出の抑制ともとらえることはできるけれども、あくまで私見として、もてなし的な情感を棄て切った剥き出しの風そのものをこそ、更なる今後の展開では観てみたいと思うのは我侭だろうか。だが造形そのものを類型形象から引き離す抽象とミニマルへのカッティングエッジ化に作家が挑むとしても、これは別の物語となるだろう。

 我々は兎角、関心の的を見出し熱中しそこに埋没して反復にうっとりする。この反復は技術を齎し、スキルが磨かれ、些末なディティールは確かに洗練されるだろう。だが往々にしてそうした熱中反復の不自由さに囚われていることになかなか気づくことができないものだ。ナガノオルタナティブ2018”レジリエンス”に、二ノ宮裕子を作家招聘した大きな理由は、これまでに見せていただいた作品の固有性からというよりも、旅人風作家(これまで東京在住の作家は遠路長野各地で個展・グループ展など多数開催)の、おそらく彫刻作品の不自由のひとつである作品存在に関わる設置のむつかしさ(移動・重量・据置仕様)の経験から逆説的に育まれていった、限界状況を打破してスタティックな鈍重堅牢彫刻から空間へ軽やかに移動する作家精神の流動的運動の力、伸びやかなアスリート的な肢体を思わせる空間獲得への欲求が作品となる時、つまり視る側にそのまま自由と等価の視界を与えるのではないか。是非倉庫ギャラリーという非日常的な空間で、その跳躍はどのようなものか見てみたいと思ったからだった。
 解体(311)された屏風が、元の鞘に納まる「再生」ではなく、レジリエンスによって再構成され、検証を含んだ癒しとして目の前に広がるとも、私は眺めることはできる。

 最後に平出隆の「発見証明」(抜粋)を作家に贈りたい。

ーたとえばに過ぎませんが、詩における「発見」ということ。
 ある作品が真に「発見」をなしたかどうかは、科学におけると同様に証明という客観が必要です。「発見」はそれ自体が客体との関係ですから、それを「発見」だと証しうるのが詩の論理だと思います。しかし、詩は最終的客体を見出すものなのか、そうは思わない人たちにとっては、別の基準が必要です。「詩史」がそれであり、もっと低次元では毎年の「回顧」がそれです。科学においても、発見の証明が難しい事態が起ります。しかしそこでは、つねに「発見の証明」が「発見」とセットになっている。私はそんな詩をいまも夢見ていますが。ー

ー古典的な二元論とはなにを指すのかについては、「結果についての対比」や「概算としての対比」だと思えばいいと思います。「散文は歩行で、詩は舞踏」というようなもので、その対比自体は納得できそうですが、対比によって捨てられる領域がひろすぎるのです。また、このような対比は、詩に根拠を与えてしまいすぎる。そこで、言語一般というものを基底に見て、その基底と散文とを対比する。あるいはその基底と詩とを対比する。すると、歩行が舞踏に映るところや、舞踏が歩行に戻るところも対象にできる。歩行しているだけの舞踏や、歩行が舞踏になる存在ということもありえますからね。ー

「詩への礎 ー真理 政治 歴史ー 」 平出隆より抜粋

文責 町田哲也