10,September.2016 BUS
23,September.2016 Live
納は、ほぼ十年前よりバス模型のコレクションをはじめた。幼少より小中高と12年に渡ってバス通学をした彼の生い立ちがそれを難なく支えた。思春期に出会う他者的世界を切り裂いたのが行き帰りのバスであり、悪天候でも様々な乗客を相手に巨体を自在に操る運転手は彼にとっては、世界を相手にどこまでも牽引する象徴的な存在として日々輝いていたのだろう。
趣味でコインや切手、フィギュア、列車やつまらないゴミのようなものに至るコレクションをする者は、昨今どこにでも居るし、過去そうでなかったように、自らのそうした性癖を隠すこともない。つまり、コレクターにとってコレクションという物欲は、「自己表現」ではなく、肉体と精神の世界への定着の方法なのであり、習慣(ハビット)に近い。自らのそうした性癖を晒すことは、共感を求めることではないし、告白するとしても、時と場合によっては憚ることもあるだろう。おそらく家族にも伝えることはできない執着と拘りの詳細は、時間とともに深くなり、どこかに存在するかわからない同じ状況の者への幻想も膨れる。
バスコレクションという精密なバス模型はタイプ毎に五千から七千個が販売されるらしい。つまりこれは潜在的なコレクターの数を示唆しているが、この国の人口を考えれば、稀少な存在ともいえる。彼らの内の幾人かは年に一度か二度会合を開き情報交換をするという。その席で所謂「バス」に関する蘊蓄の差がヒエラルキーを形成するので、自発的な学習を余儀なくされる。バスに関心がないものにとってはどうでもいい車体番号や多様な付設機器やその変遷を、まるで歴史家のように知り語ることで、だが彼は、世界の一部の筋を正確に辿り、この「バス」的世界観という極めて細い「事実」を肉体化している。事実彼はバスマガジンという雑誌記事制作に関わっている。
モノマネという憑依芸を行って、人々が大笑いをして喜ぶ姿に癒されると彼は言う。芸人と呼ばれる者だけが受け止めることのできる至福の感触なのだろう。だが、彼の憑依には、バス運転手に対する憧憬と似たものがまずあり、故に反復が可能となる。普段はもの静かな性格の彼が、憑依芸によって叫び怒鳴る姿は、観る側でなく、彼の中で何かを打ち破っている証ともいえる。
いずれにしても、「自己表現のパフォーマンス」などといった自己陶酔ではなく、偏向したひとりのそうでしかない固有な生きざまとして、彼のバスの説明に耳を傾け、モノマネに笑い、彼が偽りや悪意を洗い去った実直で示す彼自身であるしかない表出を受け止める時、数万年を囲炉裏や焚火を囲んで夜な夜な意識を闇に交えつつ生きて来た人間本来の、健やかな集いの原型がそこに穏やかにみえてくる。
文責 町田哲也