2017 prevention_05 Kazunori Kitazawa

ナガノオルタナティブ 2017_05
「プリベンション」北澤一伯展 「場所の仕事」
2017 11/6 mon ~ 12/9 sat – 公開セッティング –(展覧会延長予定:最終日未定)
13:00~16:30 入場¥500-(公開セッティング中は無料)

*ナガノオルタナティブ2017「プリベンション」05、北澤一伯展-「場所の仕事」- は、作品の現場搬入・セッティングの構築進捗の時間をさえ作家のもたらす提示表出の極めて重要な部分と捉え、展示が完了し個展が開催する迄をも、公開することにしました。よって個展が開催する期日を限定的にもうけておりません。作家の仕事は、予定調和的・演繹的な設計図を予め用意し、構築を行うものではなく、場所と対峙し空間との照応によって折衝を重ねるものでありますので、複数回観覧いただき作家の構築の過程・思念が場所に結晶化する取り組みを含めて作品をご体験ください。

2017 12/9 sar ・14:00~ ギャラリートーク 15:00~ クロージングパーティ
@ FFS_Warehouse Gallery


 - 物質誌 拾遺 - 

 物質色で花よりも芽に近く果実になるにはまだ青くしっかりした根とともに堅い種の所有するかすかな前兆をみつめて暮らす。
 なにかそのような物質が観えてき来た場所から、物体を採集し組み合わせ、刃物で削る。彫れなくなって手が止まる時には描写もする。
 意識空間としての地方の、極私的な場所を見つめている。土地台帳の閲覧でしか知る事のない地域の中の、やがて消えていく小字(こあざ)の名のついた狭い土地において為されている、口碑にもならず遺構も残らない私の身辺に対する営みである。
 「見るべき程の事をば見つ。」
 平安時代の末期、壇ノ浦の戦いで平知盛(1152〜1185)は、最後にこのように言って自害したと平家物語で延べられている。見る事と全生命が、分ちがたく五分と五分とに透き徹るような言葉に感じるのは、物語として語られているためだろうか。
 ある土地に、自分を受け入れる余地のない場所が在るということは、どんなことをしても、突破することのできない垂直の壁を見ているような幻滅した気分がする。だが、壁の向こう側では、そのような私の事は考えていないのかもしれない。 
 人の一生に対する見方考え方、他界観、哲学、土地の記憶、地域の歴史、霊的な場所と情念領域についての世界観が、具体的に空間にさしだされ、おそらく必敗でありながら、その広がりの情感に従うという精神の具現者が、綺麗な言葉の語り部だとするならば、『見るべき程の事をば見つ。』という運命を確かに私は観たのだと感じてしまう。そして私は、その土地の地勢に触れながら、思考はすこし浮いて想念に縛られない境界に立ち尽す。
 綺麗な言葉の前で、限りなく灰色の言葉である思考回路は、土地係争と同時期に、大切な人々との離別による屈折から生じたと思われる。けれども、そのように書いてしまう己自身もまた綺麗な修辞で発言の粉飾しているのではないかという自己否定の念を、私は制作と、場所への眼差しによって保とうとしている。
 この綺麗な言葉に立ち向かうにはいくつもの方法があり、さらに克服するにはさまざまな方法がある。そして、そうした方法のいずれもが、それらの言葉を封じ込める唯一の道は、己自身が意志を持って、今ここで、自身内部の、そのような言葉の顕われを窒息させる事だ、という真理の一面を示しているだけにすぎない。
 綺麗な言葉によって黙殺されるという事態を受けとりつつ、黙殺の槍のひと突きから、自滅を防ぐものは何であるのだろうか。
 私は、綺麗な言葉の由緒と根拠を調査して、その真性の不正をひとつひとつ暴く事が、私の自滅から再生へむかう出口のひとつだと考えてきた。
 ある種の不完全な物が、何かの意味の動機づけによってかけがえのない物になるということを、神秘主義的な秘術だと安易に答えるわけではない。また、手負いのシャーマンが、何かの物体に意味と物語を付与する事で、治療者の治癒に関わったとしても、神秘主義的な秘術だと安易に断定できるわけでもない。
 私は、それが起こる事は知っている。しかし、どのようにして起きるのか、私は知らない。
「善良な人がみずからの意志で他人の邪悪性に刺され・・それによって破滅し、しかしなお、なぜか破滅せず・・ある意味では殺されもするが、それでもなお生きつづけ、屈服しない、ということを私は知っている。』(「平気でうそをつく人たち」 M・スコット・ペック 草思社 p330)
 物質誌。鉄の断片、鳩の羽、花の種子、水晶、・・・。
本来、物には意味はない。しかしなお、なぜか破滅せず、いくつかの言葉がふさわしい必要性によって発見され、語られて行く。
 それゆえに、妙な言い方だが彼等の情念から受けとった打ち身の痣のようなものは、これからも消えないだろう。

文責 北澤一伯



na201705